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zoom RSS 木曽路とハンナ・アーレント

<<   作成日時 : 2014/04/19 21:37   >>

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 火曜日に、ハンナ・アーレントを観に塩尻まで行ってきました。片道230キロのドライブになるので数日ためらっていましたが、力尽きたらどこかで泊まろうと思ったら気持ちが軽くなって出かけることにしました。

 19号線を走っていると、桜・つつじ・こぶし・花桃・菜の花などの花々が次々に現れ目を奪います。花をつけた桜の枝がまるで差しのべた手のように花びらを散らし、花びらの舞う風の中を進んでいくと開けた窓から花びらが舞いこんできます。

 萌木色の木々の中に咲く山桜のほのかなピンクを味わっていると、まだ芽吹いていない周りの木々の枝が秘めた色まで感じられます。

 トンネルの出口の向こうに広がる若葉の輝きや、視界に突然に現われた雪のアルプスに驚き、長距離のドライブにもかかわらず、疲れを感じる間もありませんでした。

 
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 何度か車を止めて幸せなときを味わっていたので、3時30分の上映に間に合わず、結局6時から観ることになりました。

 映画は、遠路をやって来てよかったと思える内容でした。

 「命令に従っただけ」だというアイヒマンは、思考を放棄しています。思考をすることによって主体者となり、主体者であるからこそ責任も持ちます。では、責任を放棄したものの責任はどう問うのでしょうか。

 アイヒマンは、極悪人ではなく平凡な男であったと伝えたことにより、ハンナは攻撃の対象になってしまいます。映画を観ている者は、ハンナを攻撃している人もまた思考を放棄しているのであって、決して反論にはなり得ていないことに気づいていきます。

 ハンナは、ユダヤ人指導者がナチスに協力したという事実も発表しました。ハンナを攻撃している人は、「アイヒマンは極悪人である」「ユダヤ人は被害者である」ということに疑問を差し挟むことを拒絶しています。つまり、そこで思考を停止しているのです。

 思考を停止したために非道なことをふつうに行ってしまったアイヒマンの「悪」についての事実を伝えることにより、思考を停止したためにハンナの伝えた事実が受け入れられない人たちから攻撃されるという、実に皮肉な結果にハンナは苦しめられます。

 「私は、一つの民族を愛したことはない」というハンナの言葉から、ナショナリズムやシオニズムの思考停止状態について考えが移っていきます。この言葉は、ホロコーストを憎むユダヤ人がなぜパレスチナでの蛮行を行うのかという問いに一つの示唆を与えてくれます。

 「何人も服従する権利を持たない」というパンフレットの言葉は、斬新でした。

 

 

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