エスペランサ

アクセスカウンタ

zoom RSS 教員人生の終わりに際して思うこと

<<   作成日時 : 2014/04/01 08:16   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

 昨日、35年の教員人生に終止符を打ちました。意に反した断腸の思いでの終わり方がやってくるとは、つい最近まで思ってもみませんでした。

 学校が健全にその機能を発揮するには、教師のたゆまぬ努力が必要です。たゆまぬ努力の中身には様々なことがありますが、最も重要なことは、課題を分析する視点を磨くことだと思います。分析の仕方で対応の方向性が全く異なるからです。

 子どもが問題行動を起こしたとき、家庭のせいにされることはよくあることです。しかし、家庭に問題があるのは当たり前です。みんな試行錯誤で子育てをしているのですから。

 子どもが粗暴な行動に出てしまうときの多くの場合、原因は家庭の課題にあるのではなく、むしろ「あそこの家は」とか「あの子たちは」「あそこの地域は」というような差別的な見方にあります。

 子どもたちのつぶやきや綴ったものを丁寧に見聞きしていくと、子どもを取り巻く様々なものが見えてきます。子ども社会は大人社会を写す鏡なので、子どもたちに今身につけている価値観は、本当にそれでいいのだろうかと問い直させることは、大人社会の価値観を子どもたちといっしょに問い直していくことになります。

 社会が混沌としていると、カリスマが求められます。子ども社会も同じで、子ども社会が混沌としたものであれば教師にカリスマ性を求めます。そこに、カリスマ的な教師が登場し手腕を発揮すれば、カリスマこそが教師の力量のように語られます。しかし、カリスマを求めた時点で思考が停止してしまっているのです。

 最も大切なことは、子ども自身が自分の頭で考えていくことです。子どもが自分の頭で考えるためには、自尊感情が育っていることが必要ですし、自分の意見を自由に言っていいという合意も必要です。

 本来子どもたちは、自分の力で伸びていこうとします。しかし、差別や支配は、子どもの自尊感情を奪います。子どもが本来持っている伸びようとする力を発揮するには、自尊感情の回復を意図的に仕組んでいかなくてはなりません。そのときに大切なことは、何かができたから誉めるというような条件つきの認め方ではなく、その子の生活をまるごと認めることによってその子の存在を無条件で認める方法を探ることです。

 このようなことができている学校は、決して荒れません。問題がない学校はありませんが、このような点を重要視すれば学校が大きく揺らぐことはありません。
 
 そのような学校をつくるためには、教師間の合意が必要です。そのような合意を作っていくには、実践を交流し合い、論議を交わしていくことが必要です。そのようなことをめざした根気強い日々の努力があれば、学校は少しずつ少しずつ変わっていきます。

 学校が変わっていくことは、教師の夢です。

 教師を続けていれば、二度と見たくない子どもの姿に出会い、二度と耳にしたくない子どもの言葉を聞きます。ここまで子どもが痛めつけられることは決して許されないと、怒りで震えることがあります。

 だから、学校が変わることが夢なんです。

 教育委員会や管理職は、このような教師の夢を支え環境を整備するのが本務だと思います。しかし、今回の人事異動で、夢が打ち破られました。

 夢が形になるには、何年もの月日が必要です。残りの教師人生を現任校で最大限生かすことを、ある子どもに約束しました。彼のような痛い思いを子どもたちにさせないためです。

 上から下ろされてくるものが、このような夢を支えるものとは限りません。ときには阻害するとしか思えないこともあります。最近はむしろこちらの方が増えています。

 上から下りてくるものが学校の課題に合致しないときには、戦略が必要になります。どのようなものが下りてこようが、学校の実態に照らし合わせて納得のいくものに作り変える知恵が必要になります。それが管理職の手腕です。

 そのような気概を感じれば、意見の違いはあっても最大限の協力ができます。しかし、そこに危機を感じれば黙っている訳にはいきません。年相応の責任を放棄するわけにはいきません。

 年齢を重ねた多弁な者を意欲的と捉えるか厄介者と捉えるかは、管理する者の意欲に左右されます。

 残り2年の教師人生を他校で新たに始めるような人事を言い渡され説得を続けられました。たった2年では夢は描けません。教師間の合意をつくるためにいったいどれだけの忍耐と努力が必要なのか、まったく理解されていません。

 子どもたちに、希望を語れなくなった教師は教師をやめるべきだと繰り返し言ってきました。残りの2年に夢を描けなくなった以上、自らの誇りを維持するためには退職しか選択肢はありませんでした。

 当然、現任校での夢を追えるように可能な限り働きかけはしました。何人かの人が怒りを共有してくださり、またそれぞれに動いてくださいました。しかし、希望はかないませんでした。

 そのことに心を震わせてくれる何人かのなかまをもって、こんなに幸せなことはありません。
 心のこもったエールをいっぱいもらいました。

 学校という組織の中での取り組みは終わりましたが、私は自由を手に入れました。新しい挑戦を模索します。

 

 

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文

サイト内ウェブ検索

教員人生の終わりに際して思うこと エスペランサ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる